地震
記録に残る災害 | 伊豆大島近海地震 1978年(昭和53年1月14日 12:24発生) |
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概要 | 震源は伊豆大島西岸沖 深さ約15km 最大震度6 (M7.0) 東伊豆町では、負傷者、全壊、半壊家屋、地滑り、崖崩れ件数、道路損壊など、ほとんどの項目で最多を記録した。特に被害の多かった伊豆半島東部で目立ったのは、地滑り・崖崩れなどである。河津町三高入谷地区の地滑りは、大規模な地滑りで、4世帯10戸が土砂に埋まり、7名が死亡した。河津町梨本では、県道を走行中のバスが崖崩れに直撃され、運転手を除く、乗客3名が死亡。その他にも落石や山崩れにより、各所で交通が遮断された。今回は、バスが埋まった現場について記述する。 |
本災害発生前後の状況について
地震発生後、ただ事ではないと思い、直ちに梨本の現場(現在のループ橋山側の県道)に向ったが、大鍋口先の川合野地区で大規模な土砂崩れがあり、車両の通行など出来る状態ではなく、徒歩にて土砂崩れを避けて現地に向った。 当社の現場は、想像を絶する大規模な土砂崩れで、道路が見えない状況であったが、当時の下請け(斉藤土木)の作業員数人が土砂崩れの下田側にいたので話を聞いたところ、バスが埋まっているとのこと。(バス前面の下田行きの文字がかろうじて見えていた)そこで作業員が大声で叫んだら、土砂の中よりかすかに声がしたので、その方向をスコップで掘って確認したら、運転手が生存しているのが判明した為、直ちに切断機(酸素共)を用意している間に、バスの先端部(一部)を人力で堀出し、切断機で穴をあけ運転手を救出したとのこと。 運転手はバスの運転席付近の柱わきにできた少しの空間部にうずくまっていて、無傷であった。(余談ではあるが、運転手は声をかけた際、意外とと冷静で時間がかかると思ったのか、おにぎりを要望したとの話を聞いた) その後、バス本体を掘り出すため現場内を見回ったら、現場の天城トンネル側(道路脇)に斉藤土木の0.7m3BHが被災を受けずに置いてあったのが確認されたので、それでバスを掘り出そうということになり機械を点検したら、燃料が少ししか入っていなかった。 そこで会社に連絡し、直営作業員を3~4人手配してもらい、自分たちを含めて5~6人で大鍋口上のGSから、ポリ缶(20ℓ)を背負って畑道を歩いて現場まで運び込んだ。 その頃になった時点で、土木事務所・警察関連の方々が現地に集まってきて、早速、バスの堀出し作業にかかった。ある程度掘った段階で余震の大きいのがきて、山側法面より土石の小崩れが発生し、時間も夕方にかかってきて、二次災害の危険もあるため、その日は作業休止となった。 翌日の朝より、作業が再開された。作業途中で自衛隊の応援部隊が現地入りし作業に加わったが、あくまでメイン作業は0.7m3BHで、警察関係者や自衛隊は、ただ見ているだけのようであった。重機はオペレーター人ばかり多くて掘削作業がやりにくそうであった。 そうこうしている間も、時々余震がありそのたびに避難しなければならず、作業に時間を要した。(なにしろ山側は、はっきりした記憶ではないが、土石が点在した40m以上の荒れた法面であり、非常に危険をはらんでいた) ある程度、掘り下げたところで、倒れた工事用仮設防護柵(H鋼支柱・丸太土留め)が発現した。(現場は法面工事中であり、山側に仮設防護柵H=5.0mが設置されていた) そこでまた、余震の大きいのがきて落石等が発生、堀やま付近にいた関係者は一斉に飛び跳ねて逃げたが、あぶないところであった。 記憶があいまいだが、時間も遅くなり、二次災害を防ぐためその日も作業休止となった。 翌日の朝、倒れた防護柵の撤去から開始され、途中でバス本体が確認されたが、山側からの土砂や防護柵に押し潰され、バスは床面から上がマッチ箱を潰したようにひし形になっていた。そこで、自衛隊や警察関係者が入り、3人の乗客が山側から押し潰されて死亡しているのが確認された。その後、片付け作業が行われ全体作業完了となった。 いま思うと、重機オペレーターが大変活躍してくれたが、重機まわりに人が多いのと被災者を重機で傷っけないよう非常に神経をすり減らしたと後で聞いて、もっと重機オペに気を使うべきだったと反省しました。 本災害の発生時間は昼頃(12:24)であったが、30分ほど早く発生していれば、バスは通り過ぎていて被災はなかったと思えるが、その反面、現場の法面では命綱を利用して法面上の作業をしていた作業員が5人いたので、その5人が多分被災し生き埋めとなったのではと思われる。 なお、余談ではあるが、災害から2日間は会社や家にも帰れず、斉藤土木で炊き出しをしてくれた、うっすら泥色をしたおにぎり(地震により水が濁ったため)がおいしかったことを思い出します。
本災害に対する対応について
他の企業、ボランティア等の連携や支援について
本災害の経験から得られた教訓や反省点等について
被災者の救出等は急がなければならないのは当然だが、救出作業に加わっている人達が二次災害に合わないよう、安全確保に留意しなければならないということを教訓としたい。
県の対応への意見について
土木事務所・警察関係者・自衛隊と人は多かったが、命令系統というか指示系統がはっきりしてなかったように思います。(作業者が混乱する)
その他自由意見
下田市C社