地震

記録に残る災害 昭和53年1月14日伊豆大島近海地震
概要 東伊豆町白田磯辺国道135号線山側から巨石が落ちてきてホテルを半壊し、通行止めとなる。東伊豆町奈良本、熱川ビューホテルの従業員寮が崩土により埋まり、損壊し2名の犠牲者があり。

本災害発生前後の状況について

発生後水路に崩落した土石を撤去している時また地震が来るというデマがあちら、こちらで聞かれた。東伊豆町白田地区では屋根瓦の落下がありブロック塀の倒壊、道路の石積の崩壊。

本災害に対する対応について

水路の復旧はその日の内に出来るだけ施工した。屋根瓦の復旧は時間がかかるのでブルーシートを取り寄せ対応した。ブロックや石積は車両が通行出来るように片付けた。奈良本の救出作業は建物は鉄骨作りで内部にプロパンガス流出しており酸素ガスが使えず人力で消防団が交代で行った。

他の企業、ボランティア等の連携や支援について

当時、東伊豆町に消防署は無く各消防団が役場総務課と連絡は取るが、電話が不通になっており、情報がなかなか取れずにいて不安がありました。 支援としては冬物の服、毛布が配られたが間に合っていたので寄附した。

本災害の経験から得られた教訓や反省点等について

国道135号線の通行不能となったので迂回路が必要となり急きょ白田から稲取まで山側に立派な道路が出来ました。

県の対応への意見について

堰口川上流に流れ込む支流に砂防ダムが必要。

その他自由意見

東伊豆町B社

体験談